二〇周年記念講演会【1:(2)基本的人権の主体】

1.障害者は障害のない人と同じ「人」である
(2)基本的人権の主体

 

 思想の表われと言いましたが、まさにこれは国際的な動向の中で、現実に確認されてきたことであります。基本的人権の主体と書いておきました。1970年でした。聴覚障害者の権利宣言というのが国連総会で採択されました。71年だったと思いますが、知的障害者の権利宣言というものが採択されました。さらに75年にはすべての障害者を念頭に置いて、障害者の権利に関する宣言というものが国連総会で採択されました。そして1981年に国際障害者年というものが、国連の設定で取り組まれました。83年から10年間、国連障害者の10年ということで、全世界で共同して取り組む。さらに障害者に対する取り組みが遅れていると見なされたアジア・太平洋地域についてはアジア・太平洋障害者の10年というのが、そのあと10年続いて、またさらに続いてという、こういう経過があります。

 この宣言から進んで2006年でしたか、正確なところはあとで調べていただきたいのですが、障害者権利条約というものが採択されて、我が国は今これから批准というところへ来ているわけであります。宣言というのは宣言ですから、大変重要ではありますが、縛りが弱いわけです。条約となりますと、それを批准した国は国内の法律も変えて、その条約に従った、様々な施策を組んでいく必要があるということで、格段の拘束力の違いがあります。権利宣言と、さらに権利条約は、これは当然言うまでもなく、障害者が権利の主体であるという思想を基調に据えて、様々な項目や条項を設定しているものであります。こういうことで障害のある人々が、単に呼称、呼び方の問題だけじゃなくて、実質的に障害者は基本的人権の主体である。人間としての様々な権利を持っている、そういう存在であるということが国連という舞台で、確認されてきました。

 以上のようなことですから、私たちはこの点に確信を持って、様々な取り組みを進めていっていいのではないかというふうに思います。そしてこれに重ねて申しますと、発達する権利の主体である。様々な権利の中でも、特に学校教育などを通じて、学習する権利、そしてさらにそれを通じて発達していく権利というふうなものは、必ずしも明文化されてはおりませんけれども。実質的には非常にはっきりと確認されてきていることだと思います。教育学者の堀尾輝久さんが、大変著名な教育学者でありますが、日本の憲法の第26条に関わって、つまりあそこには「すべて国民はその能力に応じて等しく教育を受ける権利を有する」と書いてあるわけですが、等しく教育を受ける権利というのは、もっと積極的に言えば、つまり外国語などに即して言うと、教育にアクセスする権利なのですよね。教育を受けるっていう、受身的な権利ではなくて、教育への権利というふうにいわれるべきだといっています。そして教育の中で保障されるべきものは何かというと、子どもの学習権である。「学習する」がちゃんと保障されることによって発達していき、そして働く力もついてくるし、社会参加の力もついてくるので、堀尾さんは子どもの学習権、憲法第26条に関連した学習権というのは、人権中の人権であるというふうに、いろいろな著作を通じて書いておられます。学習していく権利、そして発達していく権利。こういうことは憲法26条にははっきりとそういうふうに書いていないですけど、実質的な意味はそういうことでありますし、最近の障害者権利条約はまさにそういう部分も含んで、発展的にいろんな規定をしております。生涯にわたって学習していく、あるいは教育へのアクセスの権利があるというようなことも書いてあったりしまして、非常に世界的な規模で見ると、障害のある方々の権利の問題というのは、大変中味が充実して発展して理解されるようになってきたのだなというふうに思っております。

 私は今日のテーマは人間発達を保障する取り組みのあり方という、大変硬い表現ですが、これはこの法人の要請を受け、その趣旨を汲み取ってつけたので、私に責任がありますが、発達を保障する取り組みを日々していく際に、この人々は人間としての基本的権利を持っているのだという認識を基軸に据える必要があると思います。もちろんこのようなことをいつも考えるわけではないと思います。そんなことを朝から晩まで考えながら取り組む人は、恐らくいないのでありまして、時々振り返って、取り組みの反省をしていくとか、改めて子どもに学ぼうとするときに、時々は思い起こして、この子たちは人権の主体である。あるいは発達していく、そういう権利の主体であるというふうに軸をそこに置いて、子どもたちを見ていくと、またいろんな見方が変わってくるし、私たち自身が、変なふうにぶれていないかどうかということも点検できるのではないかと思います。

 ですからくどいようですが、いつも念頭に置いてなんていう必要はないんだけれども、時々は思い起こして、これに照らして、私たちの子どもの見方や取り組みのあり方を反省してみる、ということが大事であろうというふうに思うのですね。そういう意味で最初から硬い話で恐縮でありましたけれども、そういうふうに最初に確認しておく必要があるのではないかと思ったような次第であります。


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