二〇周年記念講演会【3:(2)信頼関係の確立と発達】

3.取り組みは相手とのコミュニケーションを基盤にして行われる

(2)信頼関係の確立と発達

 依存というのは、時々よくないことのようにいわれますが、私は人間というのは、お互いに依存しながら生きるのだと思うんです。依存しながらお互いに自立していく。しかし、根底に信頼関係が積み上がっていないと、依存もできないわけですよね。

 私は虐待の子どもに時たま、相談のケースとして会いますけれども。そういう中には、例えばお父さんが帰って来ると、身を硬くして「あいつが来た!」って言う子もいました。それは虐待するお父さんが仕事から帰って来ると、もう足音でわかるから、それで「あいつが来た」ってなる。そこでは関係が断ち切られてしまっているというか、子どもの側が、むしろ閉じちゃうわけです。そういうことではなくて、本当に信頼関係を築き上げていくと、むしろ寄りかかってくる。安心して全面的に依存してくる。依存しつつ、自立する。だから私たちはよく「この子、甘えん坊で」って言いますが、甘えられるというのは非常に大事なことで、しっかり受け止めながら、その子ができることは自分でやるような方向へ、どう振り向けていくかということが、教育の重要な観点なのではないかと、私は思います。だからそういう意味では相互の信頼と依存の関係の中で、実は障害のある人々も、場合によっては職員も、その中で自立を遂げていくというような関係が大事になってきます。

 人間は大体、発達心理学的に申しますと、発達につれて依存対象が変わるだけなのです。小さいときは大抵はお母さんでしょう。お父さんにも依存するようになり、兄弟、上の子に依存したりということがあり、あるいは学校へ行けば、親しい友達に依存するということがあり、その子が来ていないと何となく不安になったり、というようなことがあったりして、依存対象は広がっていく。軸を持ちながら広がっていくということです。 成人に達してもなお依存しているでしょう。大人も例えば結婚すると、夫婦それぞれ依存しています。だから見ていないようで、見てくれていることが安心の基になったりするわけでしょう。もちろんそれぞれに自立に向かう要素もあっての依存でないと、いわゆる「共依存」といった外の世界から分離された関係になってしまうから問題が出てきます。しかし、たいていは大きな問題はない。こうして依存対象が変わりますが、この世の中に全面的に安心して身を任せることのできる存在というものがあるかないかっていうことは、決定的に重要です。

 その根底はやっぱりコミュニケーション。愛情を中心部分に含んだ感情の送り込みというものが根底にあって、積み上がっていくものだというふうに思います。なかなかそういうふうになり切れない働く条件の厳しさがありますが、だからこそそちらの条件を変えていかなければならないというふうに思います。保育現場などでは、「もう1人保育者がここにいてくれたら」ということがあるでしょう。

 あるいは家庭でもお父さんが茶碗ぐらい洗ってくれたら、ということがあるでしょう。ひとりでテレビ見て、お母さんは必死で子育てをして、茶碗洗ってなんてやっていると、イライラしちゃいます。その負担を軽減するためには、お父さんがもうちょっとやってくれたら、と思うのではないかと思います。家事も労働ですから、互いに労働する者として連帯するっていうのは、家庭内の民主主義の基本だと、私は思います。


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