二〇周年記念講演会【5:発達は限りない】

5.発達は限りない

(1) できないことが、できるようになること


 最後にこの発達は限りないということについて触れて、話を締めくくりたいと思います。
 できないことができるようになる。これは大事なことであります。新たに何かができるようになったというのは、みんなの喜びです。これは入所施設などでも同じことが言えます。例えば先ほどちょっと申しましたような重症の子が、ちょっとした変化、例えば微笑んだ、あるいは初めて涙を流したというような場面にめぐり合うと、職員は施設中を走り回って、何々ちゃんが涙を流して泣いてくれたよ、と伝えたりするでしょう。できなかったこと、これまでは表現しなかったことを表現するようになるというのは、素晴らしいことであります。しかし同時に私はそれだけで人間を測っていってはいけないというふうに思う。私だけではない。多くの人がそういうふうに言い始めております。


(2) できることがふくらみをもっていくということ――能力の発達と人格の発達


 できたことを、ほかの人たちとも一緒の中で遂行できるとか、ほかの場面でもその力を発揮できるとか、力を膨らませていくということにも着目したい。上、上へと昇っていくだけじゃなくて、今のレベルでもいいから、それを応用、展開していくような力をどうつけるか。ここはやはり限りなく、私たちが取り組める部分であります。上へ向かって進んでいく、できることがふえていくっていう点では、壁にぶつかっている人も、今できていることを、どう豊かにしていくかとかいうことを視点に据えていくと、発達は限りないということがもっと見えてくるというふうに思います。発達は能力だけでなく、人格についても考えられるべきです。まさに力を持って、それを発揮するのはそれぞれの個人、人格ですから、そこが豊かになっていかないといけない。

 世の中、能力はあっても人格的に、他者を卑下したり、あるいは他者を踏み台にして、その能力を発揮して、そして力を誇示していくような人間っていうのは残念ながらいますが、やっぱり力があって、かつ同時に人格の豊かさがその人をつくり上げていくっていうことがないと、本当の意味での発達というふうにいえないのではないかと私は思います。この点、障害のある人々はある意味では、私たちが人間についての見方を、自ら点検する上でも非常に大事な存在で、この人々に学ぶ中で私たちは人間のあり方っていうものも、大げさなようですけど、学び取ることができていくのではないかというふうに思います。

(3) サクセスフル・エイジングの発想

 だいぶ以前から生涯発達という言葉が使われてきました。さっき加々見さんが突如として、私が古希を迎える年齢だと紹介してくださり、そんな言葉は私の頭の中から外れておりましたので、急に言われてショックを受けましたが、私も自分で言うのも何でありますが、まだ発達すると思っております。物忘れは激しくなっておりまして、能力の低下は避けがたいところがいっぱいあります。歩いていれば息が切れるし、いろんなことがありますけれども。

 ただ、人から学ぶという姿勢を自分が崩さないでいられれば、何か膨らんでいくものが、自分の中であるのではないかというふうに思ったりしています。今あれなんですよね。サクセスフルエイジングという言葉が、国際的にもはやり始めている。これは立身出世の意味でのサクセスフルではなくて、本当に豊かな高齢、加齢のことを言います。この言葉は人間的な豊かさを表現しておりまして、もっと申しますと、それまでの人生がいかに充実していたかがサクセスフルエイジングを決めるという考え方がで定着しつつあるのです。それまでの人生があんまり干からびて、豊かさがない人生であると最後、高齢になったときにサクセスフルでない、不幸せなことになりかねないっていうようなことがあるようであります。作業所に通って来ている方などは、加齢というような言葉ではふさわしくないぐらいの若さがみんなあるわけで、職員の方もまだ若いと思うんですけれども、今を充実するっていうことを通して、明日が開けてくるという関係が、このサクセスフルエイジングの思想の中にもあるような気がします。そういう意味で限りなく発達していくためには、今が充実しないといけない。教育で言えば、子どもたちが子どもらしく学び、生活し、そして発達していく。現在の生活の充実が保障されないと、子どもたちの未来は貧しいものになりかねない。それは私たちの後を受け継ぐ世代が貧しいということになりかねないわけでありまして、今がどう充実したものになるかっていうことが求められている、大事な観点なのではないかと。


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