熊本の支援(5/6~最終日)

5月6日
この日は、連休の中の平日ということもあり、様々な支援事業所が平常通りの運営を行っていたため、1日中熊本市内を走り回りました。
地元の相談支援事業所さんや児童発達支援センターさんにお邪魔して、地元の支援者さんからタイムリーな情報交換を行い、困っている人たちがどれくらいいるのか?などの確認を行いました。

震災時は、様々な情報が流れます。その情報の中から、信頼性が高い情報を迅速に集めることが次のアクションを起こす手掛かりになります。ここで間違ってしまうと支援方針がぶれてしまう事にもつながるわけです。

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地元支援者さんにアポイントを取る時は、とても緊張します。

あくまで私たち外部支援者は、一時の支援になってしまわざるを得ません。しかしその緊急時に私たちがやれることを正しくお伝えし、相手が希望することをしっかりと受け止め、支援を切らさずグラデーションのようにつなげていく必要があります。

地元支援者さんに対しリスペクトの気持ちを忘れずに電話をします。電話の声は、みなさん優しく受け入れてくださるものでした。お話をさせていただくうちに緊張はどこかに行き、お互いに同じ仕事をしている中での思いを話します。


<このようなチラシを持参して活動を説明します。→>









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私の信条として、電話口だけで色々と説明されても顔も見れない関係の中では信頼は生まれないと思っており、必ず先様の都合が合えば、伺ってお話をさせていただくようにしています。

名刺を渡し自分たちが何をしているのか、地元支援者さんたちの支援の方向性とのずれがないか?そんなことを話します。

そして必ず私たちの支援に関することでのアドバイスを頂きます。できるだけ地元の方針に近い形の支援が作り上げられるよう支援チームに毎晩のミーティングで報告を行い、次の支援フェーズを作っていきます。

東日本大震災の時も、たくさんの皆さんに助けていただきました。しかしその時にも、外部支援者さんの思いだけで支援が行われたりすることで、地元でこれまでやってきたこととずれてしまったりすることも少なからずありました。

また、地元の事で精一杯の状態なのに外部支援者のフォローまでしなければならないとなると、これまた大変です。できるだけそのような思いをしなくて済む支援を被災地支援の時には心掛けなければなりません。



きちんとした信頼関係と正しい情報があれば地元のエンパワメントにつながる支援ができます。



色々とお話を伺うと、今回の地震に関する話がたくさん聞けました。熊本は災害が比較的少なく台風もありますが大きな被害をもたらす前に少し逸れていったり、地震も震度3程度はありますが4以上は経験が少なかったそうです。東日本大震災の時も阪神淡路大震災の時もどこか遠くのところの話だと感じていたという事でした。



私は今年の3月に熊本で医療的ケア児の相談支援について講演をさせていただきました。この時に小児科医の田中総一郎先生(当時:東北大学医学部小児科准教授 現:はるたか会 あおぞら診療所新松戸)と武山裕一さん((株)アライブ代表取締役)が、東日本大震災を受けて『震災が起きた時に医療的ケアのあるこどもを守るために必要なこと』についてご講演されていました。

そこには電源の確保ができないときの吸引法やライフライン復旧の順序、備えておくと良いもの等、災害時の知恵がたくさん詰まっている講演でした。おそらくこの講演を聞いてゴールデンウィークには備えの準備をしようと思っていらっしゃった方も多かったのかもしれません。

中には講演を聞いて下さった方から、「浅はかでした。やはり遠いところの話と思い自分とは関係ないと感じてしまっていた。」というお話も震災後お聞きしています。



仙台であると、震度4以上の地震が起こることは熊本より多いのかな?と今回のお話をお聞きして感じました。地元の特性や歴史の中で、そこに住む人の災害に関する感じ方が違います。その違いを理解して心を添わせて、何が必要なのかを検討しなければならないのでしょう。


日本はいつ災害が起こってもおかしくない土地柄です。何か起こった時にどのようにみんなで乗り越えていくのか?今一度自分たちも改めて考える必要があるように思います。



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ある程度アセスメントを終えた後は、熊本市民病院に戻りました。こちらでは職員宿舎の中の会議室を提供いただき、市内での支援拠点とさせていただいています。(5月8日の熊本日日新聞にも取り上げていただきました。)

こちらで、医療的ケアのあるお子さんのあそびのサポートをPTとして実施しています。子どもたちは地震に対する不安を抱える親の気持ちを察知します。親御さんが元気になれるよう復興の手がかりを作っていく為の預かり支援です。子どもたちがたくさんあそび、のびのび過ごすことができる支援が今後熊本のスタッフで継続できるよう移行も検討中です。

熊本市では医療的ケアのあるお子さんの療育施設はあまり多くないようです。注入などであれば福祉型の児童発達支援センターでもスタッフの方が3号研修を受けて対応しているとのことですが、それ以外の吸引など頻回を要する支援についてはなかなか受け入れを構築することが難しいようでした。

医療的ケアがある児が通える療育センターが市内にありますが、そちらがいっぱいだとなかなか療育の機会が得られないようでした。福祉型児童発達支援センターも2~3年待ちだそうです。また、"子どもには居宅介護支援は滅多な事情がない限り支給されない"、ということも相談支援専門員さんからお聞きしました。

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これまでも熊本に限らず時々お聞きしていた事ですが、「子育ては親の責任で、親がやるべきことなので支給は出せない。」と言う自治体があります。

障がいを抱えた子どもがどこに生まれたか?で受けられる支援が異なる実情がまだまだ日本全国にはあります。安心して子育てができる地域作りとは何か?自助、共助、公助はそれぞれ何を示すものなのか全国レベルで考える必要がありそうです。

なぜその支援が必要なのか?第三者として客観的にアセスメントを行うことが、相談支援専門員の役割です。それをもって必要な人には必要な支援が行われるということが今の福祉の流れだと思います。



しかし、この相談がうまく回っていないと言う現実も明るみに出ました。先日、日本相談支援専門員協会と熊本県相談支援専門員協会の合同支援チームにご挨拶に伺った時に、熊本市内の一人の相談支援専門員が抱えるサービス等利用計画、障害児相談支援計画の数が100~200名とお聞きしました

今回伺った相談支援専門員さんも大体180名位の計画を作成していらっしゃいました。平成27年3月に移行期間が終わり、平成27年4月からは基本的にこの計画がなければサービスの支給がされません。

しかし今回の地震で相談支援専門員さんは、「やらなければならないから一生懸命計画を作ってきたけれど、正直基本相談が全くできていない。」「この震災で、計画を立てている利用者さんがとても心配だけど回り切れない。」「私たちはペーパーを作るだけしかできない。」という悲痛な思いを話してくださいました。


計画相談の数を上げていくことに精一杯で、計画を作るために最も大切な基本相談やモニタリングが追い付かない現状の結果、このような震災の時に、「困った」を相談支援専門員に言えない利用者と、動ききれない相談支援専門員の現状がありました。



現在の相談支援の報酬はとても低く、安定した経営ができていません。ほとんどの事業所が母体からの援助で何とか成り立っています。これが相談支援事業所が増えない、相談支援専門員の資格は持っていても相談支援を始められない大きな理由の一つです。

今回の震災のような緊急時に、相談支援がしっかりと基本相談として安否確認を行えるにはどうしたらよいのか?赤字でも利用者人数を抑えてしっかりとアウトリーチできるようにするのか?悩ましいところです。おそらく根本的な報酬体系が変わらなければ解決しないことなのかもしれません。


また、この計画相談はあくまで福祉サービスを利用する時につながる支援です。福祉サービスには至っておらず、医療としかつながっていない高度医療依存児(医療的ケアはあるが知的な遅れがなく歩ける子ども)はどこで把握し、情報を即座に共有し支援のアウトリーチをするのかも検討しなければならない課題だと思います。



震災で起こる急性期的な支援課題と、震災以前からの課題が両方混在していることにも気が付かされました。私たち自身も、地元での支援が当たり前ではなく全国的にはどのような動きになっているのか意識的に情報を取る努力をしなければなりません。




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5月7日
支援の最終日が来てしまいました。

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朝からお世話になった避難所を回り、地元の皆さんへご挨拶をしました。8日には避難所が縮小されます。みなさん移動前のお忙しい中、手を止めてくださいました。


「本当に怖かった体験をしたけれど、震災を通して強くなりました。」とお話してくださった方や、子どもさんの預かりの話を提案すると「また大きな地震が来たらこの子ともう会えなくなるかもしれない。だから離れたくない。」という思いを持っていらっしゃった親御さんの気持ち。いろいろなお話を聞かせていただきました。

少し時間が経過したからこそ話せたこともあるのかもしれません。


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避難所で頂いた「来てくれてありがとう」との言葉とメッセージが、私自身の熊本に行くと決めた判断を肯定してくれたような気がして少しほっとできました。











思い立って有給休暇と飛行機のチケットを取り、現地での活動拠点のあても、ぎりぎりまではっきりしていない状態での出発でしたが、以前から小児在宅医療関係でお仕事をご一緒させていただいていた法人さんに受け入れをしていただき、活動を一緒にさせていただけました。

この支援チームは全国の様々な団体や個人が出たり入ったりすることで成り立っています。法人理念や支援のやり方も異なる中で、とにかく被災地の障がい児とその家族を支援するという一つの共有する思いだけでつながっていました。

しかし時間が経過するごとに支援チームが確実にしっかりと形成され、役割を各々で果たすことができていました。

支援チームを作る時、共通の目的を持つことはとても大切です。そして現場をしっかり押さえるチームと、そこに全体を俯瞰し先を見据え次のフェーズを提案していく軸と言う存在がうまく融合されて成立していたように思いました。

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利用者がどんなことに困っているのかを見つけ、具体的な支援を落とし込む、そしてこれから必要なことを何かを考える、まさに地域の相談支援の仕組みがここにあったようにも見えました。


震災の支援に行かせていただきましたが、全国で障がい児者支援をなさっている素晴らしい支援者の皆さんとの出会いと経験は私自身の学びと財産になりました。ゴールデンウィークが終わるため、この日で地元に戻る支援者が多くいました。


<最終日の夜、ちょっとだけおつかれさま会!>


震災で経験した事を通し、なのはなサポートセンターでも、地域のために何が出来るのかを考えていきたいものです。


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少し熊本弁も覚えました!この「あとぜき」が避難所入口などいたるところに貼っている言葉で、意味が分からないうちは、その張り紙の前でフリーズしてしまっていました。言葉が通じない!まずい!と焦ったものです。今は大丈夫!「開けたらきちんと閉めてね!」と言う意味だそうです。
















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阿蘇くまもと空港はまだ半分程度しか使えていません。
随所に大きな亀裂や雨漏りをしています。支援やゴールデンウィークの関係で人がごった返していました。

(記 遠山裕湖)

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このページは、nanohanaが2016年5月 6日 17:00に書いたブログ記事です。

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